VideoBro / ホームムービー
ホームムービーは何だったか、そしてなぜ今、作るのか。
ビデオカメラはひと夏に1本のテープを作り、家族はそれを見ました。カメラロールのために腰を据える人はいません。
ホームムービーとは、実際には何か
映像ではありません。映像なら、スマホに何百本も入っています。ホームムービーは、誰かが「もう撮り終えた」と決めたあとに生まれるものです。最初のコマと最後のコマがあり、なんでもない日々のひと続きから作られ、そこに映っていた人たちが見る、完成したひとつのもの。リールであり、テープであり、今ではファイルですが、いつでも山ではなくモノでした。
その定義は細かすぎるように聞こえますが、それが何を除外するかに気づくと見え方が変わります。この定義なら、毎日撮っている家族も含めて、ここ何年もホームムービーを作った人はほとんどいません。カメラロールは、倉庫が棚に取って代わったように、ホームムービーに取って代わりました。はるかに多く収まるのに、誰もわざわざ見に行きません。
いつだってひどい形式で、それでもみんな見ていた
映像そのものを美化するのはやめましょう。Super 8は無音で、1本のカートリッジで3分ほどしか撮れず、現像所に送る必要がありました。80年代にそれを置き換えたビデオカメラは肩に担ぐ巨大なもので、映像は柔らかく、にじんで、照明も足りず、マイクは主に撮っている人の呼吸を録っていました。90年代の小さなテープ式ビデオカメラ、つまりたいていの家族が実際に持っていたものでさえ、この10年に売られたどのスマホにも、どの点でも、調子の悪い日でも負けています。
それでも家族は、その映像を何十年も繰り返し見ました。そして、きれいな映像はまったく見ていません。ホームムービーに何が起きたのかを正直に語るなら、ここから始めるしかありません。誰もが最初に手を伸ばす説明を、これが除外してしまうからです。
再生ボタンを押させていたのは、画質ではありませんでした。
昔の形式がしていた3つのこと
どれも、映像の話ではありません。
終わりがありました。フィルムは尽き、テープはいっぱいになり、素材は処理に出されて完成して戻ってきました。撮ることと持つことのあいだにはっきりした境界があり、それを越えることで、瞬間の山が始まりと終わりのあるひとつのモノに変わりました。
それはひとつのものでした。テープは1本で、手に取れる物でした。背に誰かの手書きの文字があって、棚に並び、部屋の中の目に入る場所で、どんなファイルにもできないやり方で、静かにそこにありました。存在を思い出す必要はありませんでした。ホームビデオをコンテンツと呼んだ人はいません。ただの夏が、箱に入っていたのです。
そしてみんなのものでした。見ることは、部屋にいる全員でするものでした。コピーは1本、画面はひとつだったからです。だから行事になり、行事は繰り返されます。上映会で、この3つ目の条件だけを取り出して考えています。
そして、すべての制約が一度に消えた
スマホがホームムービーを少しずつ削っていったのではありません。3つの支えを同時に、5年ほどで取り去り、代わりにはるかに良いカメラを全員に渡したのです。
撮ることは無料になり、だから終わらなくなりました。保存は見えなくなり、だからモノがなくなりました。画面は個人のものになり、だから見ることはひとりの行為になりました。ひとつひとつは、純粋な進歩に見えます。まとめて見ると、家庭の映像がもう一度見られるための仕組みを、すべて取り去っていました。
残ったのは、本当に奇妙な状況です。私たちは史上もっとも徹底的に撮影された世代でありながら、自分たちの人生の見返せる記録は、祖父母より少ないのです。映像が少ないのではありません。記録が少ないのです。
その「写真」は、思い出ではありません
スマホに動画が何本入っているか見てみてください。そのうえで、最後にどれか一本をちゃんと座って見た日を思い出せるか、試してみてください。スクロールで流し見たのでも、誰かに送ったのでもありません。最初から最後まで、見ようと思って見た日です。
スマホは数か月に一度、もっと容量を増やせますよと勧めてきます。まるで問題が容量にあるかのように。でも違います。たとえ明日、無料の容量が無限に増えたとしても、見る量は今と変わらないでしょう。「写真」はアーカイブであって、フィルムではないからです。ほとんど何もかもを、静かにため込んでいるだけで、いつか探すときのためのものです。でも、探しに行く人はほとんどいません。
アーカイブに罪悪感を覚えなくて大丈夫です。整理しようともしないでください。アーカイブはプロジェクトではないのですから。かわりに、山の中からひとつだけ出来事を選んでください。ある旅行でも、ただの週末でもかまいません。その一つだけを、見られる形にしてください。山が小さくなるわけではありません。その隣に育っていくのは、完成した作品がぽつぽつ並ぶ小さな棚です。それが本当に自分ひとりの山なら、どうすればいいかはこちらにまとめてあります。
むずかしいのは、編集ではありません
もうひとつ、スマホが変えたことがあり、それは悪い方向へ行きました。カムコーダーの時代、家族のカメラは1台で、撮ったものは最初から1台の機械の1本のテープに集まっていました。いまはパーティーにいる全員がカメラを持ち、ある夜の映像は6人か8人のスマホに分かれ、それを元に戻すものは何もありません。
グループチャットで、誰か動画にまとめてよという声が上がっても、たいてい誰もやりません。編集が難しいからではありません。同じスマホに無料の編集アプリがあるのですから。クリップが、ほかのみんなのスマホにあるからです。
編集は年々簡単になりました。集めることは年々難しくなり、それでもほとんどのアプリは編集の磨き上げばかり続けていました。
だから、私たちが最初に作ったのは、集めることでした。もっといい編集ソフトではありません。撮っているその瞬間から全員が注ぎ込める入れ物です。週末が終わるころには、集めるものが何ひとつ残っていません。みんなで1本のテープのしくみ。
撮ることは、心を込めた行為です
これは、撮ること自体への反論ではありません。大好きで、それが過ぎ去っていくのを感じるからこそ、人はカメラを向けます。ろうそくの炎、幼い子がクリスマスまでにはもう言わなくなってしまうであろう、あの独特な言い回し、誰も終わってほしくない旅行の最後の夜。スマホに手を伸ばすのが、その場から気持ちが離れているせいであることはめったにありません。たいていは、その瞬間にできる唯一の方法で、何かを引き止めようとしているのです。
問題は、もう半分のほうです。撮るのに必要なのは、ちょっとした動作ひとつです。見るには、一晩の時間と、そうすると決めることと、ほかの三人を同じ時間に座らせることまで必要で、しかもいつも、もっと短くてすぐ見られる何かが用意されています。撮ることは、やりたいと思ってから実行するまでの手間を減らし続けて、簡単になりました。見ることは、その手間をひとつも減らさないままでした。上映会は、その一晩に何が必要なのかについての話です。
そこにいた人たちのための映像
キッチンにスマホを向けると、構図を決めるより先に、何かが起こります。カウンターがさっと拭かれます。畳んでいない洗濯物が、画面の外へずらされます。撮っている人は、泣き声がおさまるまで少し待ちます。それは別に不誠実というわけではありません。ただ、いずれ見ることになる人たちが、何にレンズを向けるかを逆算して決めているだけです。
その場にいた人たちしか見ない映像は、それだけでもう別物です。誰もそのために演じたりしませんし、その必要もありません。だからこそテープは、その人たちのためのものであり、招待制になっているのです。
なぜ、今作るのか
時間は映像を分類し直すのに、どのクリップを選んだのかは教えてくれないからです。パーティー前の台所のぶれた10秒は、撮った週には何でもなく、12年後にはすべてになります。その台所が別の誰かのものになり、その中で話の途中だった人が年を取っているか、もういないときに。カメラロールはそのクリップを保存し、埋めてしまいます。ホームムービーは、実際にもう一度通りかかる場所に置きます。
そこに映っている人たちは、いつまでも映っているわけではないからです。祖父母は、同じ話を毎年少しずつ短くします。子どもは、クリスマスまでにある言葉を言わなくなります。撮ったものは、見てはじめて意味を持ちます。何を撮るかは、まさにそういう映像のリストです。
すべてを撮った人が、どこにも映っていないからです。スマホ1台、撮る人ひとり。家族の記録には、親がいるべき場所に穴があります。何人かで作るホームムービーは、家族の記録の中で初めて全員が登場する版になることがよくあります。
そして、完成したものは見られ、山は見られないからです。これが議論のすべてで、技術の話ではありません。ホームムービーとは止まるという決断であり、それはスマホが決して求めてこない、ただひとつのステップです。完璧じゃないホームムービーでは、見た目のおかしいものをまず消したりせずに止まることを勧めています。
何について作るか
結婚式である必要はありません。家族がいちばん大切にする映像は、行事そのものであることはまれです。たいていは、その前後の10分です。みんなが来る前の台所、帰りの車、スマホが出ていることを忘れた誰かの作業中の姿。確実にうまくいく形がいくつかあります。
- 1週間。スマホをカウンターに横向きに置いて、夕食のあいだ録画を押します。それがホームムービーで、それで十分です。火曜日から始めましょう。
- ひとつの旅。1本のテープに全員が入り、グループのすべてのスマホから撮る。旅行。
- ひとシーズン。子どもの土曜日の試合がある春まるごと、あるいは家族のなんでもない秋を、何か月も回る1本のテープに。スポーツのシーズン、家族。
- ひとりの人。祖父母を訪ねて、いつもの話を最後まで語ってもらう。祖父母。
- 1年。繰り返せる2つか3つの定点を、めぐってきたときだけ撮る。子どもの1年。
- 行事は何もなし。アパートで過ごす最後の1年、日常になったころの新しい仕事。口実のいらないテープ。
形は残して、形式は捨てました。
この議論には、懐かしさのフィルターで終わる版があって、その版は間違っています。柔らかい映像やトラッキングの乱れが戻ってきてほしい人は、実際にはいません。残す価値があったのは、その下にある構造です。
だからテープは有限で、いっぱいになります。その場にいる全員が、自分のスマホから同じ1本に撮ります。カムコーダーが解く必要のなかった、集める問題はこれで解決します。あとは、アカウントを持つ誰かが現像をタップすれば、順番に並んだ1本のフィルムになって戻ってきます。部屋じゅうが腰を下ろして見られるものです。昔の形に、いまのカメラ。私たちはカムコーダーの前で育ちました。VideoBroは、あの棚を取り戻そうとする私たちなりの試みです。
ここにあるノスタルジーは、見た目のフィルターではなく、しくみそのものです。昔の映像のほうがきれいだったと言いたいわけではありません。昔の映像には、ちゃんと終わりがあったと言いたいのです。
- 終わりがあります。テープ1本あたり2時間まで、どのプランでも。そこで終わりで、現像の準備ができます。
- ひとつのものです。テープキャビネットの棚に置かれた完成したフィルム。スマホに保存することも、リンクで誰かに渡すこともできます。
- みんなのものです。8人までで1本のテープを埋め、参加した全員に同じフィルムが届きます。
- 映像は今のものです。ファイルに焼き込まれた粒子も、日付の表示もありません。VHSモードは見るときにオンにして、またオフにする切り替えです。
実際に、どう作るか
このページは「なぜ」です。「どうやって」には専用のガイドがあります。スマホでホームムービーを作る方法は、区切りを決めてスマホを設定するところから、ほかの人にも撮ってもらい撮りながらクリップを集めること、編集ではなくトリミングをして、そして意識して見ることまでの、具体的な9つのステップです。スマホ以外には何もなくてもできますし、テープが実際に変えるのはどの2つのステップかも書いてあります。
先にボタンを見たいなら、VideoBroの使い方が、新しいテープからテープキャビネットまでのひと通りの流れを案内します。
よくある質問
今、ホームムービーと呼べるものは何ですか
ほとんど何もない、というのが要点です。この言葉はかつて、決まった完成品を指していました。選ばれた映像でできたリールやテープで、部屋に集まった人たちが見るもの。今、たいていの家族は膨大な量の生の家庭映像を作りながら、ホームムービーはひとつも作っていません。映像を、終わりのあるものに変えるものが何もないからです。
なぜ昔の人は、私たちがスマホの動画を見るよりずっとホームビデオを見ていたのですか
1本しかなくて、しかも完成していたからです。誰かが選ぶ前に、希少さが選別を済ませていました。テープは検索窓の奥のファイルではなく目に入る場所にある現物で、再生することはひとりのスクロールではなく、みんなの行事でした。この3つを取り去れば、カメラがどれだけ良くなっても、見る回数は崩れ落ちます。
今、実際にホームムービーを作るにはどうすればいいですか
区切りを決めて(ひとつの旅、ひとシーズン、1週間)、短いクリップをこまめに撮り、ほかの人にも撮ってもらい、撮りながらクリップを1か所に集め、編集ではなくトリミングをして、1本のファイルに仕上げ、そしてその場にいた人たちと腰を据えて見る。スマホの設定や何を撮るかまで含めた手順は、スマホでホームムービーを作るガイドにあります。
これは、昔の映像の見た目への懐かしさにすぎませんか
違います。そして、その区別が大事です。粒子や日付の焼き込み、走査線を売りにするアプリはいくらでもあり、それは見た目の話です。昔の形式で本当に価値があったのは構造のほうでした。有限で、みんなのもので、モノとして終わる。VideoBroが取り戻すのはその構造です。映像はスマホで撮ったままきれいで、VHSモードはオフにできる再生の切り替えにすぎません。
なぜVideoBroを作ったのですか
スマホが撮影をかんたんにして、気づかないうちにホームムービーを終わらせてしまったからです。映像はきれいになったのに誰も見なくなり、ある夜の映像は6台か8台のスマホに散らばってしまいました。私たちは家族のテープの棚とともに育ったので、その形を作り直しました。グループが自分のスマホから埋めていく1本のテープが、全員の手元に残る1本のフィルムになります。